■ 封建時代の身分制度について

お隣の朝鮮李朝末期には、勢道政治のエゴイズムに伝染した公務精神ゼロのお役人が、お百姓さんを無実にも引っ立ててその不動産を狙うことが流行ったとあります。

土地を失った農民は流浪するほかなく賊化して公庫の米を奪ったともあります。

武装集団化して法の外に暮らすことは、中国では革命前まで伝統的に絶えざるものであったようです。

朝鮮では、国民の7・8割が奴婢であった時代もありましたが、土地を離れたりして身を起こすと、登記簿証文から逃れることができたそうです。

逆に登録すれば村の7・8割が両班になっていることもあったといいます。

中農なら両班という規定もあります。

つまり農民であることと、ある程度の支配者階級であることとは、日本国のように絶対的な背反ではなかったのです。

朝鮮半島の狭い貴族支配社会にかえって融通性があり、日本の幅のある武士管理者社会に農民は農民のままでは決して頭をもたげることのできない安定性があったのです。

本当の士大夫層は1%にも満たなかったものと思われます。

大陸では読書人の管理社会であって、武器を持つことが支配者的な身分の系譜を証明しているものとは限らないのです。

日本では系譜的な色合いが濃く、きちんと武士支配者階級の一隅にいなければ、絶対に公務の仕事に就けなかったのです。

中国や朝鮮の身分制度と日本の武士一大集団社会とが違うところです。

欧米でも、武器所有者即ち公務員が支配者系譜層でもあるという国はないはずです。

日本のさむらい武器独占階級というものは、中世的で日本だけの珍しいものなのです。



葉隠れに、首一つでは縁起が悪い、二つから届けろとか、後には、女性や子供の鼻を削いでくる者がいて卑怯だから、男のひげのある上あごも付けて持って来いとか言って、以後の給与と身分の査定となる"しるし"を検めたとあります。

中国でも同じ勲の印を求めたようで、それが首級という言葉として残っているわけです。

その後の地位、級を決めるものだったのです。

そのまま日本の戦場の作法に取り入れられていたのでしょう。

取る、というごく基本的な意味の漢字も、しるしに耳をとる、という意味からできた文字のようです。



体力がなければ武士はつとまりません。

とにかく明治維新期に国民の1割が争いに勝ち続けた武士階級でした。

系譜的な支配者階級というものが1割もいる国は他にはなかったでしょう。

昔役人だった軍人だったというのと、貴族であったというのとではやはり系譜的な意味合いで違いがあります。

ウェルテルの悩みも実は、自分ひとりだけが貴族だけのサロンに土足していた驚きから始まっていました。

ゲーテも公務員でしたが、貴族ではなかったのでしょう。



そういう時代に、勤倹貯蓄だけで身を起こすしかないブルジョワジーが少しづつそのがんばりの実績を窺わせて来たのです。