■ 二元論というものの根底的な意味

この告白的な文章を、このダイアリーに写すに当って、どのくらいのイギリス人やアイルランド人やアメリカ人の先生方の潔癖な正直さと、暖かい心配りによるご努力があったか、イギリス人ばかりでなく、いろいろな面で多くの日本人、東洋人の方々のご好意、ご配慮、ご援助に預っているのか、見当もつきませんし、またお礼の申し上げようもありません。



気晴らしにも、デカルトの二元論について、一口触れてみましょう。



それは、イギリス伝統の経験主義に発展する検証的な自己の内面現場において、主観と客観の原理的な対立性に気づき、そのことの人間認識能力の絶対的条件であることと、またしっかりとした包括性の視野を手放すことのない、いわば思弁的な存在論において、根底的なものであることを明示したものであり、思い返せば、それは人類初にも、心静かに潔白に置いた不可欠な永遠の基本の開闢であったのであって、一番早いといわれても、遅いといわれることのない仕事であった。



イギリス人の先生方はもったいなくも落ち着いて考えておられる方々で、どうしてこのような地下活動に加わっておられるのか、わざわざこの組織活動の背丈を高くして下さって、お心の広いことである。

この組織活動において他にも多くの立派な業績があるにしても、悪戯に終わるだけの活動で世間に迷惑になるだけでは、恥ずかしいだけで、あまりにつまらないことではないだろうか。

どのような自慢になることがあっても、一緒に汚らわしく思われてしまうだけではないのだろうか。



いうまでもなく、コピーする者の名など、一切無く、最終的に現れることなどありませんので、詐称するのか、ずるい、などと心配することはありません。