■ 正直な自己責任の公開

やたらに穴に潜ったりしないで下さい。

冗談みたいに危ないところです。



ひとつ考えていたことがありました。

究極的な最良の推論だと思いますので、伺ってみましょう。

何百年たっても、今より人間が賢くなって、実体により手を下ろすことができることになるような話ではありません。



粒子性とはなんであろうか。

私達の体験では、粒子物体と流体があって、流体も粒子であって、最後に実質、観測的な追及において、粒子ですか、流体ですか、場ですか、となって、機能とか力とか形相とか四次元とかの概念に移りますか? と道端に出ている訳です。



粒子性と違う不連続性というものがあるのであろうか。

説明の付かないものとして、あり得る。

そして、そこにいたままで、移動することのない、不連続性をもつものの連動運動というもので物事は始まる。

速過ぎれば、自立持続性の構造を有する物というものになる。

そして、粒子性と違う不連続性を抱えた実体の海で、初めて動く物となるのである。

その物は抵抗なく自らのまま移動する。



不連続性と粒子抵抗性の違いというものは、私達の理解の難しいところです。



そしてその海のはるか遠くにまで、自らの構造の影響を伸ばし届けているのである。



昔なつかしいエーテルの思い出しでもあります。



構造の一本一本の腕ですら、すべてが上の粒子となる前の、一体的なものの部分的な連動運動から成り立っているのである。



どうでしょうか?



大事なことに、このようなコピーによって、イギリス人の組織みずからが、長々と続いたその隠蔽性、覆面二重性のうっとうしさを撃ち破り、正直な自己責任の公開を遂げようという意思が行われているということがあります。