■ 六部問題 三

江戸末期にはやり神様という流行がありました。

特に僧形の者が亡くなった跡に石碑などを建てて拝み、その御利益を頼んだものと思われます。

六部にも命終の時があります。

家と家族から離れて放浪するだけの身の上の者の最期の場所は、道端か一宿の恩義の床かでしょう。

民俗学の先生の本に、六部は最期の時その家の者にお礼の意味で遺言をしていた、とあります。

はやり神の風習に合わせて、以後この家の主や神様になって見守り続けようというような内容であったと思われます。

信心深い江戸時代のことですから、その家の人はまことにありがたく思い、周りには内緒でも、屋敷内やあるいは縁の下に葬ることがあったと思います。

たぶん六部の遺言に埋葬の場所の指示があったものと思われます。



歴史的な寺院で、建物の下に聖人の遺体を埋葬している例をいくつか耳にしことがありますが、そのような聖人の一人として、日本国の各地で隠れ住んできて、ついに京の西北の地に没した夢想国師がいました。

このような事跡は、キリスト教会の発端の重要なモチーフとさえなっていて、教会の正当性の大きな根拠となっているようであります。

イエス第一の弟子ペテロとカトリックのサンクトペテロ聖堂のことであります。



以上の事を悪く取って、用心のし過ぎて゛自分達が毎日暮らしを続ける家の床の下に隠して置いたのだとすれば、あまりに無神経な仕わざではないでしょうか。

六部みずからの指導に、素直な信仰心で従ったまでのこととしか思えません。

そうでない場合は、江戸時代の世にも信心のまったくない、他人を思いやる心の温かさが欠如した、動物的冷酷さ丸出しの先祖でなければできない事があったいうことになります。

一般殺人犯でこれだけ鈍感なことはきわめて稀だと思います。

先祖がそんな人だと思えますか。

素朴な人が多いでしょう。

英国人の誉れある清潔心が、責任ある告白に一段と心を定めて、公正さの回復を目的として下さるように。